広島を思う日

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2010年ころの一時期ですが、広島に住んでいました。
2010年の8月6日も広島市内にいました。
広島での8月6日は、いつもの広島とは雰囲気が全く違いました。
表面上の違いではなく、薄いベールに覆われた感じと言えば良いでしょうか。
周囲の人々の鎮魂の気持ちだけでなく、その他様々の複雑な意識がごちゃ混ぜになって膨れ上がり、他県から来た人間にもはっきりと分かる「空気の違い」のようなものが、あの日のヒロシマを覆っていたように思います。

8月6日は広島を思い出す日。
2010年から既に7年の月日が流れ、そのたった7年でさえ、変わらないもの、変わって行くもの、無くなってしまったものがありました。
当事者ではないので、当日は遠慮して、翌日になってからつぶやいてみたりしています。

変わらないもの。残るもの。原爆ドーム。2010年に撮影。

変わりゆくもの。広島アンデルセン本店。2010年に撮影。
去年、老朽化のため営業を休止し、現在、建て直し中につき、この姿は今はもうありません。お店は紙屋町の仮店舗で営業中とのことです。
広島アンデルセンは、本通りという繁華街の中心地にあって、上質で美味しい食材やワイン、花、雑貨などが売っていたり、結婚式場があったりという、少し特別な場所でした。都内で言うと、新宿高野が近い気がします。もしくは三越や伊勢丹などの百貨店のデパ地下のような、そんな場所でした。

本通りのこの辺りは原爆の爆心地からたった360m。周囲は至近距離からの被曝で周囲はほぼ消失しました。
元々ここにあった帝国銀行(旧三井銀行)の広島支店の建物は、重厚な建造物だったことから、壁の一部や金庫などがかろうじて残っていたんだそうです。(写真はアンデルセンより拝借)有名な写真なので、見たことがある方も多いかと思います。

原爆ドームと共に原爆の悲惨さを知らしめる建物として、後世に残すかどうかについて検討された建物でしたが、最終的には、被爆に耐えた壁や金庫の一部を残したまま修復され、再び銀行として営業を再開。その後、広島銀行や信金などに持ち主が変わり、最終的に昭和42年に、建物ごとタカキベーカリーが買い取って、アンデルセン本店となりました。何度かの改装と、2002年の被爆建物部分の耐震補強および全館改装を行ったことで、この写真のような建物になったようです。
旧館2階に残っていた被曝壁などは、建て直し後も残す方向で再建中とのことです。

無くなってしまったもの。原爆被爆者温泉療養研究所。2010年に撮影。
利用者減少と老朽化に伴い、2013年に閉館したそうです。
広島ではなく島根県の有福温泉の奥にあります。有福温泉荘とも呼ばれていました。

広島時代、有福温泉にはよく通っていました。
名前の通り、原爆被爆者のための温泉療養所でしたが、一般の人でも入浴可能と聞いて、一度だけ入りに行きました。

いまはもう無くなってしまった風景ですが、記憶だけでなく、記録にも残しておきたいと思いました。

4件のコメント 追加

  1. 通りすがり より:

    鳥取県×
    島根県○

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    1. KYO より:

      通りすがりさん、コメントありがとうございます😊
      本文修正しました。
      ご指摘ありがとうございました。助かりました〜。

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  2. gkiseki より:

    有福温泉は島根県の江津市の南です。何度か訪れたことがあります。この施設はその一番奥のあたりにありましたね。

    いいね: 1人

    1. KYO より:

      当時、ちょうど浜田道が無料化された時期で、有福温泉には月1回くらいのペースで通っていました。泉質がとても好みでした。
      有福温泉荘には1度しか入りませんでしたが、御前湯のレトロなお風呂など雰囲気があって良かったですね。ぬるめのやよい湯も好きでした。
      街がコンパクトでのんびりしていて、石見神楽など、見所もいっぱいあって、お気に入りの温泉でした。
      帰路の山中で猪に襲われた、なんてこともありましたが😅
      広島県内には基本的にあまり良い温泉が無いので、江津の有福温泉荘が療養施設として使えたことは、良いことだったんだろうと思います。
      私が入った時には貸切状態だったので、広々とした湯船を撮影することが出来ました。当時既に施設内は閑散としたイメージでしたが良いお湯でした。
      施設の老朽化や利用者の高齢化など、無くなって行くものの多さを思いました。

      いいね: 1人

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